2009-06-15

男と女で見方が違う「愛の完成形」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 8割が女性、という試写会場でこの作品が上映された後、会場玄関で立ち止まった私の耳には、「登場した恋する女たちがどうなるのかな、てけっこうハラハラした」「ハラハラよりドキドキね」という言葉が入ってきた。どうやらこの作品、間違いなく女性たちの共感を呼んだことは確かのようだ。

 女性から見たこの作品の感想は、他にお任せして、男からこの作品を見ると、登場する恋愛の達人ぶる男がバカに感じて仕方なかった。登場する最初から、やたらキザな愛のセリフを言い、謎めいた雰囲気が面白いのだが、物語が進むにつれて「こいつ案外、たいしたことない」と思えてしまう。ただ、それが監督ウディ・アレンの狙いのはずだ。

 「愛の完成形」というのがあるのかどうか、というのを語るこの作品で、男の多くがセックスと結婚が愛の到達点と思っている、ことをウディ・アレンは皮肉を込めて描いている。一方、女性は愛を求め続けている、のだから、愛が完成したと思い込んでいる男たちとのギャップが、この作品で描かれている。多分、多くの女性の観客は、この作品でのアレンが描く男には共感してはいないだろう。でも、ここに登場した男たちは、男の定型形だっりするのだけど...。

 ところで、「ウディ・アレンは女性の心がわかる監督」と言われているらしいが、映画オタクの私から言わせると、アレンは、「ハンナとその姉妹」以来描いてきた女性像は、実は彼が敬愛するイングマル・ベルイマン監督の作品に登場する女性像と、ほとんど変わりがない。今回の「...バルセロナ」の主人公の女性二人の関係にしても、ベルイマン監督作品「沈黙」に登場する、理性を重んじる姉と奔放な性格の妹という関係性に似すぎるほど似ている。しかも、あまり言葉が通じないというシチュエーションも「沈黙」とほぼ同じだ。

 ただ「沈黙」と大きく違うのは、第三の女性として登場する、地元の情熱的なスペイン女性のペネロペ・クルスの存在だ。この存在があるからこそ、この作品が他の恋愛コメディー映画と大きく違う面白さがあり、ベルイマンとは正反対のウディ・アレンらしい独自性がある。このペネロペのことを言うとネタバレになるので伏せるが、ともかく、この作品で一番謎めいていて魅力あるペネロペの存在に、観る人は大いに心惑わせてほしいと思う。

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山中英寛

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