2009-05-18

リングに賭けた、寂しい男の輝ける人生に拍手! このエントリーを含むはてなブックマーク 

この作品を見ながら常に感じていたのは、主人公のレスラーの背中の寂しさ、だ。それは、家族からは捨てられるように離ればなれとなり、トレーラーハウスの家賃も払えられないくらいに日々の生活にも苦労している、孤独な人生を送る男の悲しさによるものに他ならない。だからこそ、心臓発作を患い、先行きに不安を覚えて、その背中を丸くして、離れて暮らす娘に会いに行ったり、好きな女性(40代半ばにもかかわらず、セクシーな肢体でポールダンスを披露するマリサ・トメイが素晴らしい!)に愛を求めたりする、孤独にも耐えられなくなった男のワビシイ姿が、とても印象に残る。

 ところが、そんな寂しい男がプロレスのリングに上った途端、それまでとは一転した堂々たる姿が光り輝く。それは、主人公が元はプロレス界のスターであり、たとえ場末に落ちぶれたとしても今だプロレス・ファンやレスラー仲間の間ではヒーローだからだ。
 実はこの作品、プロレス・ファンのためのプロレス映画という側面もある。額から血を流すタイミングまで相手との打ち合わせどおりだったりすることや、リングに上がる前の準備など、プロレスの舞台裏が随所に描かれていたり、鉄条網デスマッチをそのままやってしまう演出など、この作品ではプロレスの魅力を存分に味あわせてくれる。昨今のプロレス中継がマイク・パフォーマンスばかり長くなり、肝心のレスリングをあまり見せなくなっているだけに、レスリングの様子をしっかりと見せていることだけでも、この作品はプロレス・ファンにとって痛快に感じるはずだ。

 ちょっとセンチメンタルな演出が目につきやすいこともあって、この作品を見た人の多くは、孤独な主人公に、ただひたすら哀愁を感じるだけにになるかもしれない。しかし、昔のプロレス・ファンのひとりである私は、この背中が寂しい、孤独なレスラーがとても羨ましいのだ。なぜなら、私たち一般の者たちは、どんな人生を送っていたとしても、自分が輝く一瞬があるリングに上ることなどないからだ。
 どんなにいい人間だったとしても、他から離れて暮らしたり、死んでしまうと、人の記憶からは忘れられてしまうのは世の常だ。しかし、私たちプロレス・ファンは、鬼籍に入ったジャイアント馬場やジャンボ鶴田のリング上の勇姿を、今も鮮明に記憶し続けている。それだけ、リングの上のヒーローたちは、他の誰よりもまぶしいほどに輝いていた。自分たちにはできない輝きを見せたレスラーたちは、今も私たちのヒーローなのである。
 主人公のレスラーを演じたミッキー・ロークは、自分がプロレス・ファンでリングにもボクシングで上った経験があったから、この作品でもう一度、一瞬でいいから輝いてみたいと思って体当たりで演技してみせたのだと思う。そのチャレンジは見事に成功した。輝きをスクリーンから放って見せて、再び映画界というリングに上ったミッキー・ロークには、素直に拍手を送りたいと思う。

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山中英寛

ゲストブロガー

山中英寛

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