「デカローグ」「ふたりのベロニカ」「トリコロール」という珠玉の作品群を残して、
54歳という若さでこの世を去ってしまったクシシュトフ・キェシロフスキ。
キェシロフスキの映画を見て、一度でも心動かされた人ならば、
「彼の映画に、何故あれ程の深みと豊かさが存在するのか?」
「彼は何故、あのような映画を逝き急ぐように撮り続けたのか?」
その答えを見つけることが出来るのでは、と期待してこの映画を見るかもしれない。
このドキュメンタリーでは、学生時代のドキュメンタリー製作から「トリコロール」に至る20数本の作品について、キェシロフスキ自身の貴重な肉声を聞くことが出来るほか、ヴィム・ベンダースやイレーヌ・ジャコブ、ジュリエット・ビノシュといった女優や映画監督、作曲家のズビグニェフ・プレイスネルや撮影監督のスワヴォミル・イジャックなど映画制作を共にしたスタッフ、さらには映画学校時代の同級生や大学で晩年のキェシロフスキに講義を受けた生徒達も登場し、さまざまな立場からキェシロフスキについての思いを聞くことが出来る。
ただ残念なことに、その情報量の多さを咀嚼するのにかなりエネルギーを使うわりに、結局のところ、その知りたい核心部分について、その秘密のベールは捲られそうで捲られないままである。しかし彼が喜びとそれ以上の苦しみの中で映画制作に向かい合っていた、その切実さがリアルに伝わってきて、それだけでもこの映画を見れて良かったと思った。
「内面に迫りたい、人間の真実を描きたい」とドキュメンタリーからドラマへと試行錯誤を続け、「目に見えないもの」を写すために、自らの命を削るようにして、その表現を研ぎ澄ましていったキェシロフスキ。
印象に残ったキェシロフスキの言葉と、晩年の生徒さんのインタビューから少しだけ抜粋します。
『人が話すことは すべて経験したか、理解したことだ
自分が生きていない人生を語り部として
文章や映像で表すことなどできるはずがない
“出来が悪い“と捨てがちな数コマにこそ
写された以上のものがあるかもしれない
そう信じることだ
これは単なる四角ではない では何か 私は街だと思う
単なる街や家より何か それ以上のものを含んでいる
自分の物語を語るこの瞬間こそ 自分の主張であり
まさに観客たちとの対話なのである』
―クシシュトフ・キェシロフスキ
『先生を恨んでいます
あるとき こんなことを言いました
“映画を撮ることでー何かを変えられると信じるんだ”と
その後になって “もう信じてない”と言ってた
なぜ そうなったか考えてるんです』
―グレッグ・ズグリングキ監督(キェシロフスキの生徒)
心臓に持病を持った彼の肉体は、映画制作にかける己の喜びと苦しみに、
燃え尽きるように逝ってしまった。しかし彼が残した映画の中に、そして彼が関わった多くの人たちの心の中に、キェシロフスキの魂は今もまだ生きているのだ。