2009-04-21

奇妙すぎるが、楽しめる愛の形 このエントリーを含むはてなブックマーク 

  主人公の夫サンインと妻モレは、幼なじみの間柄から結婚。そこに、モレがはずみで関係をもった男ドゥレが夫婦の家庭に割り込んでくる、という、トリュフォーの名作「突然炎のごとく」や「恋のエチュード」を思わせるように物語が展開する、この作品のキモは、空気のように当たり前の間柄から結婚した夫婦の愛情に、一瞬に燃え上がった愛の炎が勝ることができるかどうか、という点にある。

 長年にわたる温もりから生まれた愛の形は大切にしていきたい、しかし、恋愛を楽しむ意味では、一瞬にして燃え上がった愛も魅力的だ。どちらの愛が本当の愛と言えるのか、という恋愛に関する謎をメインテーマにして、韓国では珍しい(と思う)女性監督ホン・ジヨンは、その二つの形が違う愛の狭間で揺れ動く女心を、おいしそうな料理の映像を挿入しながら、テンポよく、楽しげに演出している。おそらく、この監督は二つの愛を手にして迷う主人公の妻よりも、どっちの愛に魅力を感じるのか、そのスリリングな物語の展開を楽しんでいたのだろう。観ている間、全編にわたって爽やかな空気が流れていたように感じられるくらいに観ている側も楽しめたのは、この女性監督の気分そのままを体感することができたからではないかと思う。「自分が楽しまなければ、他人を楽しめられない」というエンタテイメントの論理のひとつが、この作品にはある。

 ただ、この作品の問題点は、物語の導入部だ。妻がはずみで他人と関係をもつのはいいとしても、妻がそれを夫との結婚記念日の会食で話してしまい、しかもなお、夫はわだかまりをもちながらも許してしまう。この最初の奇妙な展開を、観客のどれほどが許せるのか、実は、そこにこの作品の成否がかかっている。
 いくら天真爛漫な性格、とはいっても妻が夫にそんなこと話すのはおかしい、その妻の不貞を許す夫の気持ちはもっと理解に苦しむ、と思ってしまうと、この作品の物語をそのものを否定しかねなくなってしまう。「そういう夫婦もいるだろう」と思えれば、物語を楽しむことはできるが、「男女が逆だったら、女性は100%男を許さない」と思うと、作品そのものに同情も共感もできなくなってしまう。せめて妻が話さなければ、と、この導入部だけは監督の演出を恨んでしまう。

 だから、これからこの作品を観る方は、観ているときだけは、とりあえず、少々の罪も許す寛大な心をもっいただきたいと思う。そうすると、物語も楽しめて、主人公の天真爛漫で少女のような心をもった妻が、ふたつの愛の形に自分なりの回答を出すまでに成長していく姿も温かく見守ることができるはずだ。また、奇妙な部分もひとつの愛の形と思えれば、それはそれで作品そのものの魅力のひとつになりえるかもしれない、と無理矢理だが推薦の弁として付け加えさせてもらう。

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山中英寛

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