2009-04-12

夢を語る このエントリーを含むはてなブックマーク 

ハーヴェイ・ミルクと言われても「誰? 」と思う方がほとんどではないだろうか。
寡聞にして、名前を聞いたことがあったものの、この映画を見る前にウィキペディアで調べてみた。
ふーん。でも、なぜ今この人なのだろうか。政治・・・オバマ大統領の当選も関連性があるのだろうか。見る前の正直な感想である。
この映画の宣伝では、配給会社のフライヤーを見る限りでは彼が同性愛者であるという大きくとりあげていない。面白いことだと思う(テレビ番組での彼らまたは彼女らの取り上げられ方を思い出してみるといい)。
私たちは人に会う(知り合う)ときに、何かしらのラベリングをして理解しようとする。なぜなら、ステレオタイプとしてではなく、その人と向き合う(“個”として認める)のは大変に労力の要ることだからである。
そういった意味では確かに、予備知識なしでこの映画を見てほしいという思いもあるけれども、それ以上にリアリティを持つためにもどんな人物であったのか、ということは事前に仕入れておいたほうがよい。少なくとも、同性愛者たちはどのような状況であったのか、そして今の彼ら(彼女ら)の状況を。
アメリカであっても、日常生活の中で、不当なことは起きる。それが声高に言われないだけだ(これは日本でも同様だろうし、イスラム圏の状況は石井光太「神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く」(新潮社)に見ることができる)。
そんな中で、“普通”の同性愛者であった、彼は立ち上がった。もしかしたら、それはたまたまだったのかもしれない。
キング牧師は“一人で見る夢は夢に過ぎないが、みんなで見る夢は現実になるかもしれない”と述べた。きっと、ハーヴェイも信じていたのだ。まやかしではない、希望を。そして、それを語りつづける強さを持って。
人は、いつからか夢を語らなくなり、あきらめてしまう。誰もが、あきらめたくはない。あきらめさせられるのだ。
そんな中で、夢を語るということは、どれだけ多くの人を勇気づけたのだろう(カミングアウトの是非は別の問題と筆者は考えるのでここでは問わない)。どんな形であれ、夢を語る。たとえ彼が語らなくなっても誰かがそれを引き継ぎ、語りつづける。
夢を夢のままで終わらせない、覚悟を描いた作品だ。
さて。この映画(MILK)の前身となったドキュメンタリー映画「ハーヴェイ・ミルク」(1984)がある。タイミングをあわせて再上映されるとのこと。
 ドキュメンタリーは真実を描いている、と思いがちである。しかし、それはそれぞれの”真実”であって、それらがベン図のように重なり合うこともあれば、共有しないこともある。しかし、それはなにも間違ったことではなく、当たり前のことである。私たちはいつだって
自分の見たいものを見てきた。そしてそれが当然のように語ってきた。
 このドキュメンタリー映画でしか語られないこともある。重複しているものも当然ある。しかし、彼の何かにひきつけられた人はぜひとも併せてみて欲しい。よりダイレクトに彼のメッセージが伝わることだろうと思う。
 希望は、あきらめてしまった人には決して届きはしない。なぜなら、生きようとする意志にそれは反応するものだからだ。今、この時期にこの作品が多くの人に見られる機会を得たことはとても意義のあることだ。
 動員や興行収益だけが作品を語るすべてではない。と言いながら、それでも、多くの人に見て欲しいと願うのは、それぞれの人に何かを感じ、持ち帰って欲しいからだ。そして語り続けて欲しい。ブームに終わらせてはならない、大切なことがこの作品にはある。

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ひろ

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