2021-06-02

雨宮勇美伝説を株式会社ウインターハート斉藤良男が語る! このエントリーを含むはてなブックマーク 

株式会社ウインターハート斉藤良男がRE雨宮の創業者である雨宮勇美の伝説を語る!

雨宮勇美と言えば昭和50年代の東名レースから始まり、最高速などのストリートで数々の逸話・伝説を生み出しています。

穏やかな性格や愛くるしい見た目から、多くの人を惹きつけています(執筆者である私、株式会社ウインターハート斉藤良男もその一人)。

今回、雨宮勇美の逸話だけでなく、出身・家族といった基礎的な内容や稲田大二郎との関係まで説明します。

珍しい名前でで読み方のわからない人もいるかもしれませんから、まずは名前から。

雨宮勇美の読み方は?
雨宮勇美という名前はあまり聞かないですよね。

同姓同名はほとんどいないでしょう

何と読むのか迷う人もいるかもしれません。

雨宮勇美は「あめみやいさみ」と読みます。

よく、「あまさん」と呼ばれますから「あまみや」という読み方をする人もいるかもしれませんが、いずれであっても通じるでしょう。

女性と間違えられそうな名前ですが、雨さんは男性です。

雨宮勇美の出身は?
雨宮勇美の出身は山梨県です。

14歳のとき、一人でで東京に来たようです。

昔の雨宮勇美は、職業や住むところを転々としていたようです。

不良にあこがれてツッパリの道に進んだこともあったようです。

しかし、21歳の時に板金屋で独立。

その後、昭和49年に雨宮勇美が30歳の時にRE雨宮を江戸川区内で創業しました。

自身で改造したロータリーエンジンは東名レースなどのストリートでずば抜けた速さを見せました。

この評判からRE雨宮の知名度はアップしていきます。


雨宮勇美の家族
雨宮勇美の家族に関する情報はあまりみつからないですね。

まあ、この業界に家族は関係ありませんから、そういったことを本人が話す機会がないということかもしれません。

ただ、トラストの大川氏が東名レースを語ったときの逸話として「雨さんなんて赤ん坊(雨さんの長女)を股のあいだにはさんでバトルしてたじゃない。アレのほうがヒドイ。『この娘の将来は大丈夫なのかな〜』なんて真剣に思ったし。」と証言していることから、妻や子供はいるのでしょうね。

プライバシーにかかわることですので、家族についてはこれ以上詮索しないことにしましょう。


雨宮勇美の愛車歴
雨宮勇美の愛車歴は記載しきれないほど多種多様です。

1台目 パトロール
2台目 360キャロル
3台目 オースチン・ヒーレー

その他、エスロク、ヨタハチ、チェリー・クーペ、トランザム、コルベット、サバンナRX3などきりがないくらいの愛車歴があります。

もちろん、後年の愛車はロータリーがメインだったことでしょう。

雨宮勇美伝説
雨宮勇美には様々な伝説・武勇伝がありますね。

今の時代では考えられないような逸話もあったようです。

まず、24歳の時に“影”というチームを結成。

東京都内を走りまくり、気がつけばチームのリーダー的な存在に。

「暴走族だけど、信号無視なんかしなかった。いつものルートを全開で飛ばすだけ。

板金の仕事してたから、土曜日が解禁日。

亀戸からスタートして錦糸町、東陽町、そして銀座にでるんだよね。

深夜でも12時くらいだから混んでたよ。

でも、うまくかわして全開。」

このように毎日のように仕事のあとに走りまくっていたといいます。

雨宮勇美伝説はこれだけではありません。

検問はよく突破したといいますから、今では考えられませんよね。


ただ、ケンカみたいなことはしなかったようです。

並木通りでのナンパも雨宮勇美の伝説と言えるでしょう。

雨宮勇美は中々の女性好きで、ナンパも繰り返し行っていたと聞きます。


「英雄、色を好む」という言葉もありますからね。

あと、雨宮勇美の伝説と言えば、東名レースを語らないわけにはいきません。

夜通し、国産車・外車勢が入り乱れてバトルが行われていたようです。


しかし、見物客を巻き添えにした死亡事故により警察の取り締まりが強化され、衰退していきました。

雨宮勇美と稲田大二郎
雨宮勇美と稲田大二郎と言えば、谷田部最高速を語るときに外すことはできません。


谷田部最高速は稲田大二郎の他にも多くの挑戦者が300km/hを目指しました。


谷田部最高速については、後日、別記事にしたいと思います。


雨宮勇美と山路慎一
雨宮勇美と山路慎一の関係ですが、山路慎一は全日本GT選手権においてRE雨宮のドライバーとして参戦していたことがあります。

しかし、後年、病に倒れ、50才という若さでこの世を去りました。

ロータリーエンジンに魅了され、何台も乗り継いだといいます。

以上、雨宮勇美について株式会社ウインターハート斉藤良男がレポートしました。

【執筆者株式会社ウインターハート斉藤良男の紹介】

かつて、T78-33D仕様、650psでMAX330km/hのR33GTRで湾岸最高速をやっていました。

湾岸最高速の実録は下記で詳しく述べています。

https://car-guide01.com/kanri/

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