2020-10-11

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それで、問題の気を失ったことについてなんだが、
まあ、これまでにも何度も、どういうわけでなんだか気を失ったことはある。
前にここで、10年に1回ぐらい、と書いたけど、
そうだったっけ? と数え直してみて、たぶん今回を含めて5回だと思う。

それ以外にも精神の許容度を超えて気を失いかけたってことなら数回あるが。
人ってほんとに自分のキャパシティを超えると気を失うんだね、ドラマやまんがの中だけじゃなくって、
ということは、身をもって知っている。

で、最初に気を失ったのは中学1年生の時。これは朝礼の時だった。
気がついたら先生に抱きかかえられてみんなの目が注がれる中、どこかへと運ばれていた。
あの頃は、朝礼の途中で倒れる生徒がいるということが、
当時の子供のひ弱さとして問題視されていた時だったから、
まあその一環と思われる(と、片づける)。

奇妙なのは20代前半の時。
その日はちょうど私のサンサイン(占星術用語)から土星が抜ける日だったか、抜けた直後だったかの日で、
これでもう苦しかった時は終わるんだ! とか思っていたのに、
夕方に茶道のおけいこで、お手前をしている途中で気分が悪くなり、
茶室を立って出たのが運の尽き、
部屋を出たとたんに完全に失神したらしく、
すごい音がしたのでみんなが見に出てきたら、
後ろの壁に頭をつけて足を投げ出し、倒れていたという。
その首は直角に折れ曲がっていた、と。
つまり、後ろに倒れて壁に頭をぶつけ、そのままずるずると壁に沿ってくずおれたのらしい。

実家でのことだったから、その晩は大事を取ってそのまま家に泊まっていったが、
ベッドの中に入ってからも、ぶつけた頭の中がぐわんぐわんしていてどうにかなりそうだった。
それで翌日、アパートに戻ってから、脳神経外科でレントゲンを撮ってもらったところ、
頸椎がジグザグに折れ曲がってしまっている、と言われた。
で、曲がってしまったものはどうしようもない、
いつかまた自然に元に戻ることもあるかもしれないし、できることはないから、と言われて、
真に受けて帰ったのだが、おかげで頸椎は今も曲がったままらしい。
ただこれは、ずっと後になってから行くようになったカイロの先生によると、
位置が動くようで、最初に診てもらった時は第2と第3と言われたはずなのに、
次には第7になっていたり、
頸椎ではなくずれているのは胸椎だ、と言われたりするようになった。

傷めて何ヶ月かは、ちょっと顔を仰向けただけでもうなじが痛くて、
映画館でスクリーンを見上げているのがつらかったけれど
(これからずっとこんなだったらどうしようかと思ったけれど)、
やがて慣れてしまったのか、痛みは感じなくなっていった。
ただちょっと、今でも首を回すとぎくしゃくすることが多いけど。

当時、私の惨状を聞いて、親切に野口整体に行くことを勧めてくれた人がいて、
集団での勉強会のようなものになら出たことはあるけれど、
なんとなくぴんと来なくて施術を受けるには至らなかった。
別に論理が間違っているとは思わないけれど、自分にはなんだか野口整体は理念が強過ぎるような印象がある。

それで、この20代の時に頸椎に受けた不可逆的なダメージについては、
後になって、
きっとあれで超能力が目覚めるはずだったのに
(よく、外傷を受けたショックでそうなる人がいるから)、
守護霊さまたちが背後でもめて、
いや、この人にはまだ早い! とかなんとか言って、むだに肉体が傷ついただけで終わったんじゃないか、と漠然と思うようになった。

しかしそれよりも最近になって、
あの時なんらか(なんらかとは、なんらかとしか言いようがないなんらか)の手によって私の調整が試みられ、
だがそれはいかなる理由でか不発に終わったのじゃないか、とも考えるようになった。
そして今回もまた、同じようなことが起こったような気がしないでもない。

(続く)

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Reiko.A/東 玲子

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“human/cat also known as Nyanko A 人間/ねこ。またの名をにゃんこA”


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