2008-08-15

悲しき『予告編』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

マシューバーニーという現代美術家。
その彼がビョークを主役に日本で作り上げた映像作品「拘束のドローイング9」をニューヨークの女性プロデューサーがドキュメント映像作品として記録したのが本作。
マシューバーニーを知らない人、そして「拘束のドローング9」を観ていない方にとっては最良の「予告編」として、このドキュメント映像は役立つ。
生い立ちからデビュー、そして現在に至るまで、彼に関わりの深い人々のインタビューを交えつつ、人々にマシューバーニーという現代美術のヒーローとして崇められている人物が、どのような姿勢で作品を創っているのかを知る機会を与えてくれている。
だがしかし、このドキュメントはその良質な「予告編」の域を超える事は出来ていないように感じた。
関係者の証言や既成事実の映像は、彼という「人物」を知る機会にはなるが、彼が創る「作品の核」を知るには力不足な感じを得た。
そもそも芸術は観る人によって受け取り方が違う。
その違いこそが人の多様性であり個としての強さでもあると思う。
よってこの『マシュー・バーニー:拘束ナシ』という作品が、彼の映像作品に触発されて創られたのであれば、そこにマシューバーニーに対する制作者なりの視点があっても良かったのではないかと思う。
「オレはこう感じたが、アンタはどうだ?」
こう突きつけられた方が、マシューバーニーの作品を深く感じる事が出来るのでは、と思う。
その点で、このドキュメント作品からは、作者個人の「アク」の強さを感じる事が出来なかった。
それが良質な「予告編」を脱する事が出来ないと感じた所以だ。
そしてまた、この「アク」のなさからは、現代美術の世界を、ある種セレブ的に取り巻く人々が垣間見えてしまう気がしてならない悲しみも感じた。
一般人にとって「分かる人には分かる」という現代美術への垣根を越える機会は、また先へと持ち越されることになったと、この作品を観て感じた。

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杉田治郎

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杉田治郎

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