2016-05-24

舞台・演劇の映画化ってなぜか無視できない - 徹子の部屋で感じた演劇の元祖 このエントリーを含むはてなブックマーク 

先日開催のシナリオ勉強会で、ちと「舞台の映画化タイトル」の話が出まして。
ちと“芝居”マイブーム到来中。

実は、このジャンルって、ワタクシものすごく昔から注目。たぶん演劇と映画のレビューを同時に昔書いていたというのもあり。

しかし、いうまでもなく、舞台と映画はまったくの別モノだす。

なにしろ、舞台の原型となる“戯曲”は文学ジャンルに分類されることもあるけど。

脚本とかシナリオとかは、あくまでも映画を撮るための設計図。
そこに文学的な要素は必要なく……文学ジャンルではないとか。

なにしろシナリオに、ヘタに余計な形容詞を書こうものなら、監督が怒る……と師匠や教本に教えられてきました。

とあるシナリオ教本で読んだけど、舞台は小説に近いけど。
映画は小説とは大違い……と読んだ記憶もあり。

そのなか「シナリオは省略の芸術」という言葉は超有名ですよね、シナリオ関係者は誰でも知っている。

これって確かシナリオ公募「城戸賞」の命名のもとになった、松竹の城戸社長さんの言葉だったと記憶してます。

で、映画と演劇を較べた場合、やはり演劇のほうが偉いのだろう。

そもそも演劇の歴史は、紀元前のアリストテレスからはじまったという評論家もいます。

ここで、演劇論をさらに語るとメンドーなことになりますが(めちゃめちゃ語ります)。

ワタクシの悪い頭で考えると、アリストテレス「詩学」におけるストーリーテリングの体系化としては人類初だと思うけど、言葉のない時代のコミュニケーションって、身振り手振りなわけで。

演劇の原点はもっと過去にあるんじゃないかなと感じてます。

たぶんそんな文献もありそうですけど。

それを実感したのは、たぶん20年以上前くらいの「徹子の部屋」。

ゲストのお名前も活動も覚えていないため、明確に説明できませんが(ネット単純検索では見つからない)。

出演者は、ひとりの演劇活動で世界を回っている方で、当然世界では言葉も通じないし、ほぼパフォーマンス。

それでも、言葉も通じないアフリカの原住民にもウケタ話をしておられました。

確かその体験談の書籍を出版するタイミングだったので「徹子の部屋」に出たと思う(ゆえに分かる人には分かるはず)。

言葉も通じない空間での“演劇活動”って、アリストテレス以前にもあったと思うし、演劇の歴史はやっぱりさらに古いと思うわけです。

つづきます。

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中元文月

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中元文月

“やっと帰阪して、2017年がスタート。まずは映画バー「銀幕酒場」。”


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