2008-06-11

「彼女がいれば…」。ああ、そう。通り魔・2 このエントリーを含むはてなブックマーク 

日曜日の秋葉原通り魔事件。
事件決行までの、容疑者のネットへの書き込みが、
事細かにきのうの新聞に掲載されていたけれど
(あれでも十分細かいと思ったけれど、もっと細かいのはネットに載ってた)、
中でも次の一文が、一番にゃんこの胸に突き刺さりました。

「彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった」

ああ、そうですか…その因果関係はともかくとして、
彼女さえいれば、自分はなんとでもなったかのようなこの錯覚が、
若いうちにはまあしょうがないかな、と思おうとしても、
事件の性質にも共通している気がしてなんともやりきれません。
追い詰められた人が、
前回にゃんこの書いたように、
「一人ひっそり…」っていうわけにはいかないのは、
ほんとうはにゃんこだってわかっているけれど
(しかも、これもけっこうな暴言だってこともわかっているのだけれど。
死んでもいいって言ってるようなものなのだから)、
社会に報復したいからといって、その手段が無差別殺人、
社会に虐げられたと感じた分、注目を浴びたいからといって、その方法が無差別殺人、
っていうのが、もう安易で、はっきり言ってどうしてこう独創性がないのかと思うよ。

これも、ひとつの画一性なのではないでしょうか。
このような模倣的な犯罪を犯す心理に、
ほんとうに社会のゆがみが関係しているのだとしたら、
ひとつの価値観しか与えてこなかったところに原因があるのでしょうね。

それから、なにもこの人に限ったことではないだろうけれど、
異性が、相手の経済力や容貌で動く(だから、そのどちらも持っていない自分は不利だ)、
と感じているような人は、おそらく自分自身も異性にそんなものしか求めていないと思うよ。
自分の胸に手を当ててよ~く考えてごらん。
はっきりした対象もなく、ただ漠然と彼女(彼)というものを今ほしがっている人は、
その相手に何を求めているのか。
そして、相手にもし、居心地のよさや、やさしさや、甘えさせてくれる関係を求めているのなら
(あっ、お金が抜けている。
お金はもちろんあったほうがないよりはいいに決まっているけど、
どうも、これ、にゃんこぴんと来ないんでイメージしにくいんだよね~)、
まず自分が先にそれを相手に与えてあげられるのかをね。

自分の欲求ばっかり言って、
努力もしないで(努力によって彼女ができるわけがない、とこの容疑者は思い込んでいたようだ)、
自分は不遇だって嘆かれても、言われたほうが困っちゃうよ。
それでさらに孤立して、追い詰められていってしまうのだろう…。

こんな悪循環は断ち切りたいよね。
やっぱり、どんなに自分が不遇だと思っても
(そして、それが外側から見ても事実でも)、
まず、その被害者意識は捨てて、自分なりに現実に立ち向かうしかないのではないかな。
そして、それがほんとうに社会のせいだと確信しているのならば、
まず自分自身が、そのゆがんだ社会を変える人の一人になろうとするべきではないのかな。
どんな形でだっていいんだから…。

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Reiko.A/東 玲子

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“human/cat also known as Nyanko A 人間/ねこ。またの名をにゃんこA”


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